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Director of Photography

Posted on 2013/06/22

法人設立目前のこの頃、株式会社サイファーポイントにおいて、Director of Photography(ディレクター・オブ・フォトグラフィー)として働くことになりました。

Director of Photography、略称DPは、映画用語として一般的で、いわゆる撮影監督のこと。スピルバーグ作品のDPは90年代からヤヌス・カミンスキー。黒澤作品は宮川一夫。トム・フーパー作品はダニー・コーエン。DPは、監督のビジョンをフィルムに落とし込む役割を担い、映画の絵作り全般に責任を負います。

最後発の芸術の一つである、映画や写真には、その歴史が浅いためか、クリエイティビティについての古い芸術観が残っています。つまり、作品はクリエイターの頭脳や感性や魂の表現である、という考え方です。写真でいうと、「これはオレが切り取ったオレの光、つまりオレ自身の表現である」という言い分をよく聞きます。

これを、人文主義とか、人文主義的合理主義といいます。もっとも、写真業がどんな思想に基づいて働いても、いいものができればそれでOKなのですが、世界の中心に写真家=芸術家たるオレがいて、オレがオレの目線で世界を切り取ってやる、という態度には、限界も多い。資本主義社会では、その限界が、売上の限界として写真家の前に立ちはだかります。
日本だけで「写真家」が何十万人もいるマーケットで、「オレの作品が一番」という働き方で、一体誰に何が売れるのでしょうか。

私がつねづね思っていることは、写真は芸術のなかでも最も人文主義から遠い技法を持っていて、感性の表現というよりも、世界にあまねく存在する光線の記録に過ぎず、そこには撮り方の些細な違いしかない、ということです。

その、些細な違いを、オレの撮り方、オレの表現だ、と名づけることはそれなりの自己主張にはなりますが、そういう、職人気質のカメラ・オペレーターが数十万人揃うと、個性などは容易に埋没する。現に、埋没している。
写真家がDirector of Photographyを名乗るのは、カメラのオペレーションの差異を売るのではなく、映画製作のように、総合的なディレクション、プロダクションを上に置いて、写真家が製作チームの一員として、オレ、オレ、という時代遅れの人文主義を忘れて働くことができる環境をつくる試みなのです。

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